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 Kawasaki製のモーターサイクル Z1&Z2(正式名『Kawasaki 900 Super 4』&『カワサキ 750-RS』)。今となっては普通のツーリングマシン程度の性能しかない(30年以上経過して、いまだに普通に走れること自体がすごいことだ)このマシンは、多くの伝説に彩られながら現在でも絶大な人気を誇っている。
『最高であり、最終のもの』を意味する形式名『Z』を冠したこのマシンの最大の魅力は、開発時にこめられた『絶対世界一のオートバイを造るんや』という、技術者の執念ともいえるこだわりだろう。
各メーカー間で白熱する開発競争の中、Kawasakiは13年間という長きに渡りその基本設計を変えることなく第一線を戦い抜いた。
当倶楽部はその歴史のなか、80年代に誕生した第2世代のZといえるZ1000Jと、そのエンジンおよびバリエーションを搭載するマシンのオーナーズクラブとして発足した。このコンテンツはそんなJシリーズと、それらを生み出した時代について語っていこうと思う。
 
・開発に至る経緯
Z1000Mk2 (1979)
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開発当初Z1に搭載された『DOHC・4気筒』のエンジンは、他の追随を許さない圧倒的なパフォーマンスを示したが、次々と投入される他メーカーの新機種への対抗、急速に拡大したモータリゼーションによる快適性の追求、年々厳しくなる公害対策などにより、最終型のZ1000Mk2は排気量1,015ccから93psを発生し、総重量は240kgを超えていた。
 当時Kawasakiのレース活動はKRシリーズなどの2サイクルマシンによるGP参戦であったが、ヨーロッパの耐久レースやアメリカのスーパーバイクレースなどではZ1系の4サイクルエンジンが活躍しており、それらの結果がベースマシンの販売にも影響を与えていた。メーカーとしても次世代のマシンを開発する時期となっていたのだ。
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・”第2世代のZ” Z1000Jの登場
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 Z1000J(J1) 1981年 欧州仕様
US仕様
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1981年、”第2世代のZ”であるZ1000Jが発売された。このマシンに与えられた使命は、ずばり世界耐久とAMAスーパーバイクのベース車両となること。そのためまず第一に、徹底的な軽量化が行われた。車体各部のバランスをとりつつ贅肉をそぎ落とし、エンジンとあわせて約20kgの軽量化を達成。第1世代最終型のZ1000Mk2で1,015ccであった排気量は、世界耐久のレギュレーションを見据えた998ccとなったが、高回転型にモディファイされたエンジンは102ps/8500rpmを発揮した。しかしこのモデルはレーサーのベースマシンではあったが、フラッグシップとしてではなく、普及モデルとして販売されていた。
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・旗艦 『Z1100GP』
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1969年にホンダからCB750Fourが発表されたときから、日本製のモーターサイクルは完全に世界をリードする存在となっていた。各メーカーともより速く、より快適に、より豪華にと、次々に新しい機種を発表していった。
Z1100GP-1.jpgそんな中、Kawasakiが発表したフラッグシップモデルが『Z1100GP(B1)』である。エンジンはZ1000Jをベースに、3.1m/mボアアウトした1,089cc。Z1000Hに採用されていたKEFI(Kwasaki Electric Fuel Injection)を進化させたDFI(Digital Fuel Injection)を採用、キャブレターとは異なる滑らかな吹けあがりを見せた。最高出力は108ps/8500rpm。外見の特徴である大型のメーターパネルは、高速走行時のウィンドプロテクション効果を狙ったものだ。エンジンからマフラーにかけてすべてブラックに塗装され、スポーティーさを強調している。しかし、既にSUZUKIのGSX1100KATANAなど、デザイン性の高いモデルが発表されており、Kawasakiのデザインはいささか無骨であったと思われる。
続く1982年に発売されたZ1100GP(B2)はメーター周りを一新、液晶表示によるマルチインジケーターが装備された。また、外見上の大きな特徴となるハンドルマウントのビキニカウルが装着され、高速巡航時に威力を発揮した。エンジンはヘッド周りを見直してB1より1psアップの109ps/8,500rpmとなった。
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・Z1000R ”偉大なライダーを称えるアニバーサリーモデル”
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1980年のAMAスーパーバイク選手権。HondaはCB750F(中身はほとんどRS1000※1)を駆るF・スペンサー、Suzukiはヨシムラの手によってチューニングされたGS1000を駆るW.・クーリー。このときkawasakiはベテラン M・ボールドウィンをエースに体制を整えていたが、シーズン直前のテスト中にボールドウィンは負傷し、出場することができなくなってしまった。急遽kawasakiは、もう一台のマシンに乗せる予定だった新人をエースとしてシーズンに突入。結果としてkawasakiはシリーズチャンピオンは逃したものの、全11戦中で3勝を上げたのだ(実際は4勝をあげているが、クレーム合戦により失格)。
新人の名はエディ・ローソン。22歳のこの青年の走りは、kawasakiの期待以上のものだった。

 
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翌年の1981年、Kawasakiは万全の体制でレースに挑んだ。ベース車両は発表されたばかりのZ1000J、ロブ・マジーによるスペシャルチューニング、そして前シーズンですばらしい走りを見せたエディ・ローソン。全てのベクトルが勝利に向かって動きだし、初戦のデイトナこそ転倒・リタイヤしたもののその後のレースは圧倒的な強さを発揮し、全8戦中4勝という戦績で文句なしのシリーズチャンピオンを獲得した。
 
 
この結果を非常に喜んだU.S.カワサキは、記念モデルの生産を明石のカワサキ本社に打診、それに応じたカワサキ本社はZ1000J2をベースに、当時のカワサキのフラッグシップであるZ1100GPと同じハンドルマウントのロケットカウル、ヨーロッパ仕様の角型のガソリンタンクを装着、ライムグリーンに青と白のストライプのカラーリングを施したマシンを製作。
eddie_poster1.jpg排気系はU.S.カワサキの強い希望により、KERKERのエグゾースト・システムを装着(これは輸出の規制上、後付というわけにはいかなくて、いったんアメリカから輸入したものを、明石の工場で取り付けを行った)された。タンクには誇らしげにエディ・ローソンのサインの入ったスーパーバイクシリーズチャンピオンのステッカーが貼られている。この車両は「Z1000R」と命名され、限定900台の記念モデルとして生産された。左の写真を見るとおり、カワサキはパンフレットにもエディ本人を起用し、大々的にAMAチャンピオン獲得をアピールしている。ちなみにフレームNo.21は記念としてエディ本人に贈られた。
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・リアル エディ・ローソン・レプリカ 『KZ1000-S1』
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Z1000R(1)とともに発売されたもう一台のマシンがある。前年にAMAスーパーバイクチャンピオンマシンとなったZ1000Jレーサーを元に、メーカーチューンを施されたマシン、『KZ1000-S1』だ。当時のAMAの規定で、『24台以上販売された車両』という項目があった。この規定では『24台』以上販売されていればよいわけで、それなら元からレーサーとして製作したものを販売して、高い基本性能を確保しようと考えたのだ。KZ1000-S1は完成車30台のほか、ツインプラグヘッド、CDI点火機構、ハイコンプレッションピストンやカムシャフト、クランクなどを含めたキットパーツが発売された。